初対面で話すとき、顔を見るよりも先に左手を見るようになりました。「大学生がいいスーツ着てるなぁ」と思ったらその人は立派な社会人でした。趣味が変わり、聴く音楽も、読む本も、着ている服までこれまでと違うものが増えてきました。もしかしたらピーターパン・シンドロームとかモラトリアムなんか飛び越えて、青春にすがりたくてもトコロテンみたいに大人になってしまうものなのかも。最近はそう考えるようになりました。

重力ピエロ (新潮文庫)

重力ピエロ (新潮文庫)

伊坂幸太郎の名前を知るきっかけになった作品です。直木賞にノミネートされたひとつだったと思います。
「重力ピエロ」は真似して書けない小説です。人物名や専門用語、映画などからの引用が溢れています。これはただ引っ張ってくればいいものではありません。物語の中で伏線の役割も担うもの。もちろんフェイクも存在します。そして引用の数とバランスが難しいものだと想像します。
これら数々の引用は、はじめ邪魔で仕方がありません。作者は学があるところを見せたくてしかたないのかと腹立たしくなるものです。しかし、これが効いてくるとおもしろくなってきます。一見無駄に見える引用がどこにリンクしてくるのかワクワクするのです。
僕はここ数年、素晴らしい作品は「一から十までしっかり作りこまれているもの」がいいものだと思っていました。衝撃的なファースト・シーンから収束していくラストが最上のものだと思い込んでいました。けれど、本当は奥田英朗も言っているように「デティールにこそ神が宿る」のです。「重力ピエロ」のデティールは凄いものです。作品同士のリンクが楽しませてくれます。

それと各章のタイトル。書店で文庫を開いて読んだら、買わずにはいられませんでした。「ジョーダンバット」が何を意味するのか、推測だけではわからないものです。