自分をフラットにする

「よく(人を)見てるねぇ」なんて言われて、褒められてるんだか、怖がられてるんだかわかんないことがあります。おこがましくも人を見抜こうなんて思ってないのですが、人を見るのは楽しい。その人が今何を考えているのか、たとえばラーメン屋の店員が紐でぶらさがった五円玉を引っ張っているその不可解な行動に興味があったりするのです。なにをしているのだろう、とね。ただ妄想の赴くままついつい考えてしまうのです。ほんと最後までわからなかったな、あれは。でもたぶん、時間をはかってるのでしょう。知らないけど。
人を見て、どんな人かわかって、その人のいいように話したりして仲良くなることは意外に簡単なことだと21過ぎてからわかりました。ごく自然にその人の意識側に立つなんて、それとなく使える心理学を学んだからですかね。その本にもあるけれど、一番付き合うのが難しいのは「自分」なんだって。確かに自分を制御するのは難しい。上昇志向でしゃかりき頑張れるときはいいけれど、落ち込んで愚痴しかでてこないときなんか、酷いったらないですね。周りに迷惑がかかるし、なにしろストレス発散のために散財するのがいけない。
できるだけフラットな状態の自分でいたいものです。相変わらず怒ったり泣いたりしそうになってハラハラします。けれども、自分を客観視してもそれほど自分は見えてこない。焦るのを抑えるのもうまくいかない。
それで、自分のやること、考えること、それぞれを他人を見るみたいに楽しんでしまうことにしました。コンビニでレシートすぐに貰えなくて舌打ちしようとしてる自分なんて、いい研究材料になりますね。朝の限られた時間を邪魔されたことと、店員の態度と店の汚さと、買ったものの値段の高さの全部にイラっとしてるんですね。そしてイラっとする子供っぽい自分に対しても腹を立てているという。また満員電車で人を支えにしようとして避けられたときなんて、あほらしくてニヤニヤしそうになりました。甘えて楽しようなんて、バレるに決まってるのに。
それで、なんとか自分を操れないものかと考えて、スイーツ思考になってみたのです。自分を喜ばせてテンションをあげる、という単純なものなのですが、これが奥が深かった。自分好みのネクタイを熟考して買って自分を喜ばそうとしても、「なんか最近色々買ってくれるけど、なに?」みたいな自分がいるのです。一人だと思っていた自分の中に、マンネリで彼に興味がなくなってる彼女みたいな子がいるのですよ。
「あんたのプレゼント、どれもあたし好みで嬉しいけど、こう矢継ぎ早に出されるとありがたみがないのよね」みたいなことを言われて「あと、べつに心配してるわけじゃないんだけど、あんた給料日前なんだから少しは買い物控えなさいよ」なんて、結構気遣いができるわりには素直じゃない自分。なんだかんだ見ていると、自分が一番興味深くて楽しいですね。なんでツン デレなのかもよくわからない。
そんなバカらしいことをやっているのですが、なんだか落ち着いて楽しげに暮らしております。嘘みたいな本当の話です。