ゲド戦記感想(ネタバレ)

ゲド戦記を観てきました。散々ネットで批判を聞いていたのですが、それでも映画館で観てきました。僕は躍起になって批判するほど酷いとは思いませんでした。むしろハウルよりも面白かった。ブレイブ・ストーリーよりも、デスノートよりも、ずっとずっと楽しく観ることができました。

しかし、全部がよかったとは言えません。よかったのは、ほんの少しです。
まず、どこがいけなかったのか。やはり話を壮大に広げたわりに、ラストで纏まりきれずに終わってしまったところかと思います。序盤で竜が喰い合って、作物が枯れて家畜がダメになっている描写を入れた上で「世界の均衡が崩れている」と言ったくせに、最後は超個人的な登場人物達だけのハッピーエンドですからね。「世界はどうなるんだ!」ってそりゃ言いたくもなります。
それにゲド戦記なのに、ゲドが活躍しない。むしろダメダメです。大賢者なんだから、急いでる時は馬なんかに乗らずに鷹にでもなって飛んでけ!って思いますよね。そもそもタイトル自体がおかしいことも関係しています。

なお邦題のシリーズ名は「ゲド戦記」となっているが、ゲドが主人公と呼べるのは実質的に第1巻のみである。 また戦記とあるが、本作では指輪物語のような戦争の描写はあまりなく、代わりに自己の許容や葛藤、心理的成長といった、内面的なテーマが主題として扱われている。 実際、原作でのシリーズ名は「Earthsea」(アースシー)であり、これらに関して、「ゲド戦記」は名前としては良いが、訳題としては適当でない、という意見がある。


ウィキペディアWikipedia)「ゲド戦記
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%89%E6%88%A6%E8%A8%98>(アクセス:2006年8月23日)

劇場版のタイトルとしては、原作の「影との戦い」や別に考えるならば「アレンと影」などのほうがしっくりくるように感じられますね。*1
やはり、独自の解釈云々よりも、もっと脚本を練って欲しかったです。だって辻褄が合ってないのですから。
テルーが竜になることは、ハイタカがテナーの家でテルーに会うときに「あれ?もしや……」というワンカットがあるので予想はついていました。*2けれど、あの伏線では納得できかねます。なぜテルーが竜なのか、最初に喰い合っていた竜とは別物なのか、最後に5、6体で飛んでいる竜の一団はなんなのか。もともと竜と人間はひとつだったのなら、誰にでも竜になれる要素があるのではないでしょうか。
そんなふうに、観れば見るほど疑問点が増えていく作品でした。

では、どこがよかったのか。僕としては物語のガジェットが気に入りました。ナウシカから続く衣装の数々や、輝く魔法の剣、「まだ魔法が使える魔法使い」の存在など、要素的な部分に魅力を感じました。そして、最大の見せ場である「テルーの歌」。よかったです。
もっとも、原作が読みたくなったということであって、映画が気に入ったからではないことが残念です。

これだけ批判が凄いのは、楽しみにしていたぶん、比例して落胆も大きくなってしまったのでしょう。凄まじい宣伝でしたものね。僕は自分の中で「ゲド戦記は駄作であって、原作者にも歓迎されない酷い作品。信頼する友人達も同様の評価」というマイナス評価があったので、実際見てみて「あれ?それほど酷くはないな」と思ったのです。

最初は批評するつもりでしたが、やはり個人的な感想になってしまいました。ですので、わかりやすい批評を載せておきます。

Yahoo!映画「ゲド戦記」 nagai_oppo (たぶんこれが本当の原因) 
http://moviessearch.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id324031/rid1077/p1/s0/c1/>(アクセス:2006年8月23日)

ぜひご一読を。


本・読書 (100%) - 124位


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*1:余談ですが、影を受け入れる描写は劇場版ブレイブ・ストーリーのほうがはるかにわかりやすかったです。

*2:ただ、ハイタカが最後に「彼らには翼がある」と言っていましたが、それはアレンも竜になりえるということでしょうか。クモはアレンに嘘をついていたのでしょうか。誰か納得できる意見を見つけたら教えてください